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バイク関連企業

ヤマハの歴史について

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楽器メーカーから分離してヤマハ発動機が誕生

バイクについて詳しくない人のなかには、楽器メーカーがバイクを作っているの?と不思議に思う人もいるかもしれません。
確かに、ヤマハは楽器メーカーのヤマハが母体となって誕生しました。
戦後の復興が進む1950年代は、自動車よりもバイクの需要が非常に高く、たくさんのメーカーがバイク事業に参入しています。

ヤマハ(当事は日本楽器)も同様で、1953年に社内にオートバイの製造部門を立ち上げることを決定しました。
その後、1955年に日本楽器から分かれ、ヤマハ発動機株式会社として会社を立ち上げます。
これが、オートバイのヤマハの始まりです。

ただ、ヤマハがオートバイ事業に参入したのは他社に比べて遅く、後発組として生き残れないのではないかと不安視もされていました。
また、オートバイの開発にも難航します。
しかし、初号機として製品化されたYA-1は、ブラウンとクリーム色の2色を組み合わせた洗練されたデザイン、キック一発で確実に指導するエンジン、鋭い加速、軽快な操作性が他社のオートバイとは一線を画しており、注目を集めました。

レースで優れた性能を世界にアピール

誕生したYA-1の知名度を上げるために、ヤマハは積極的にレースに参戦します。
初めてのレースは、1955年に開催された富士登山レースでした。
バイク業界では有名なレースで、これまでホンダが優勝の座を独占していました。

ヤマハはこのレースの125ccクラスに出場。16社による49台で優勝争いが行われましたが、販売からわずか5か月のヤマハYA-1が見事に優勝。
さらにトップテンに7台が入賞するという快挙を遂げ、YA-1の性能の高さを世間に認めさせたのです。

その後も国内のレースに積極的に参戦して優勝するなど、好成績を残します。
そしてさらに、世界のレースにもチャレンジ。
1958年にロサンゼルスで開催されたカタリナグランプリで世界デビューを果たします。
その後、1961年にフランスにて世界グランプリロードレースに挑戦。

これを皮切りに、世界グランプリ優勝を目指して、国際的なレースに出場するようになります。
特に1977年に登場したヤマハのファクトリーレーサーYZR500は速く、世界中から注目を浴びました。

現在ヤマハは世界中にバイクを輸出しており、国内はもとより世界から愛されるバイクメーカーへと成長しました。
ヤマハのバイクは性能の高さはもとより、洗練されたデザインが特徴です。
カッコよくて走りやすいバイクとして、世界トップクラスのシェアを誇ります。

現在では新世代型のバイクの開発にも注力しています。
特に2014年に発表された、前輪に2つのタイヤを採用したLMW(リーニング・マルチ・ホイール)車が話題を呼んでいます。
また、環境に配慮したEVバイクの開発も積極的に手がけています。